
6歳からフラメンコ舞踊を佐藤佑子に学ぶ。日本女子体育短期大学舞踊専攻卒業後、舞踊家としての道を歩み始める。2001年スペイン・セビージャに留学し、コンチャ・バルガス、マヌエル・ベタンソに学ぶ。2004年2月帰国コンサートを開催。07年日本フラメンコ協会第16回新人公演バイレ・ソロ部門で奨励賞を受賞。現在、教室を開講をしながらライブ活動を行っている。
習い事から学業へ
私がフラメンコを始めたのは6歳です。たまたま近所に佐藤佑子先生のスタジオ「カスコーロ」があって、なぜかおばあちゃんが「やってみなさい」ということで、本当に不思議なきっかけでした。友達が体操や習字を習っているのに、なんで私はフラメンコなの?と思いつつ、小中高の間、週に1度のレッスンは途切れることなく続きました。まあ「なんとなく」と言ってしまえばそれまでですが、やはりフラメンコが好きだったのだと思います。
そして高校時代、進路に迷っているとき、日本女子体育短期大学(現日本女子体育大学)に「舞踊専攻スペイン舞踊科」があることを知りました。「これだ!」と思い、進学を決意。短大では運動生理学系の勉強はもちろん、モダンダンス、バレエなど、さまなざま舞踊を学ぶ機会もあり、貴重な経験になりました。そして良き友人にも恵まれ、充実した学生生活でしたね。
スペイン留学
卒業後は就職しないで、カスコーロに通いつつアルバイトをしながら渡航費を貯めました。この頃には私の中でフラメンコは、やはり大きな存在になっていて、フラメンコを続けるのであれば、とにかくスペインに行かねばの一心でした。
そして2001年、念願のスペインはアンダルシア、フラメンコの拠点セビージャに留学することができました。約2年間ひたすらフラメンコに向き合い、没頭した日々です。たくさんのフラメンコを観て多くのアーティストからフラメンコを学びました。
忘れられないのは、ある公演でのベルナルダ・デ・ウトレーラ(フラメンコ歌手)の佇まい。すでに高齢で両脇を支えられながらなんとか舞台に舞台に立ち、切々と唄い継いでいく姿に涙がこぼれました。最後は気合いを込めて立ち上がり渾身のブレリアを一振り、フラメンコの神髄に触れたような気がします。長いようで短かった2年間。フラメンコに没頭した、かけがえのない幸せな日々でした。
フラメンコを通して
現在は家庭を持ち生活に追われる日々。フラメンコ中心とは言い難く、むしろ離れています。逆説的かもしれませんが、だからこそ深く感じられる、踊る喜びや楽しさを大切にしていきたいですね。レッスンに来てくださった方に、フラメンコを通して潤いや活力を与えられれば、と思っています。技術的には、派手さはないけどフラメンコを形づくるリズムや動きを大切にしていきます。うまく言えませんが心の中心から動きが始まるようなフラメンコ。飾り気のない、芯の強いフラメンコを皆さんと踊っていきたいと思います。
2019年10月 | 第6回発表会開催(西日暮里アルハムブラ) |
2009年12月 | 第1回発表会開催(下赤塚ソナンタ) |
2009年7月 | プリメラフラメンコフェスティバル出演(新宿全労済ホール) |
2009年5月 | 佐藤佑子×斎藤恵子フラメンコライブ開催(新宿エル・フラメンコ) |
2008年10月 | 斎藤恵子フラメンコスタジオ開設 |
2007年11月 | プレステージ5周年フラメンコライブ出演(吉祥寺前進座) |
2007年8月 | 日本フラメンコ協会第16回新人公演バイレ・ソロ部門奨励賞受賞 |
2004年2月 | コンチャ・バルガスをゲストに迎え、帰国コンサート開催 |
2001年10月 | スペイン・セビージャに留学 |