not「After COVID-19」 but「with COVID-19」

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4月7日発令の「緊急事態宣言」がいよいよ解除になった。実質的には3月上旬から「自粛」していたわけで、約3カ月間の長い沈黙だった。自分を含め多くの人がお金(仕事)、時間、信頼関係など、公私にわたり、とても多くのものを失ったと思う。

光が丘公園は空前の賑わいで、多くの人が解除の今を謳歌している。ゆるいまま、のんびりこのままいけるんじゃないか、という思いが一瞬頭をよぎるが、それは錯覚で自分がまだ安全地帯にいるからだ。この期間を通して、現実は冷たく厳しいことに気づいたはずなのに。

そしてこの現実は、それまでの延長線上ではなく「COVID-19」を通過した新しい現実だ。現実は常に1つだけれど、別の新しい世界。言い方を変えれば、もうもとの世界には戻れないということだ。

物理的にも精神的にも「非接触」「SOCIAL DISTANCE」が求められ、他人との深入りしない、できない関係性に戸惑うばかりだ。現状維持ならそれでいい。楽でいいけど、それでいいのか?それじゃつまらないよね、と思う。実際に足を運んで、触れて、会話をして、無駄を重ねて、恥をかいて、面倒臭いことをやらないければ、何も深まっていかないんじゃないか(実際にはやれてないけど)。とにかく、いろんなことが起きては翻弄され、結局日々は無為に過ぎていく。あともう一歩を踏み出すためにはどうしたらよいのか。そんなことばかり考えている。

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大江戸線はほぼ「Befor COVID-19」の姿を取り戻し、過密状態。これで学生が帰ってくれば完璧だ。ただ一つ、違うことがあるとすれば、全員がマスクをしていることだ。「befor COVID-19」であれば異様な風景、「with COVID-19」であれば正しい風景。現実が変わってしまった典型だ。

週末の夜、駅周辺はどこにいたのかと思うほど人で溢れかえっていた。久しぶりに見るいつもの風景。開け放たれた居酒屋の窓から見えるのは、ワイシャツの袖をまくり、とびきりの笑顔で杯を交わすサラリーマンたち。みんなちょっとばかり漠然とした不安を抱えつつ、いつもの日常が始まったことに向き合おうとしている。何か変わった? 何も変わってない。現実は冷たく厳しいけど、だからこそとてもタフにできている。

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うれしかったのは、古い友人から連絡があったこと。数年前に携帯を紛失し、しばらくそのままに。ほぼすべての人と疎遠になるままにしていた。数日前、ひょっこりとメールが届いた。文字は一切なく、かつて共に過ごしたビルの入り口の写真だけが添付されていた。それだけで充分だった。

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