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師走

前回の更新から約2カ月、随分と間が開いてしまった。何をしていたかというと、結論は何もしていなかった。ひたすら働いていて、ようやく先週一区切りついた次第。仕事人生の中で第5番目にキツい期間だったと思う。今にして思えば5番目だからたいしたことないかも(ベスト3以上は今後も訪れないと思う)。

で、学んだことは当たり前かもしれないが、時間がなくてもとにかく考えること。いい加減にこなすと、かならず後でマイナスになって跳ね返ってくる。あとは、後回しにしないこと。これも必ずあとでマイナスになって跳ね返ってくる。まとめると自業自得ということ。

それにしてもSNSから垣間見える周囲のリア充の対極にある自分。働くというより千日修行のようだ。何が楽しくて、夢はあるのか(下町ロケット、ハマってます)、家族のため?自分のため?お金のため? こうした根本的な思想を抱えながらの40歳男、難しい時期だ。ただ、現状に負けたくない、という熱意は溢れるほどあり、まだ真っ白な灰になるつもりも到底ない。

逆に言うと

★打ち合わせ時に「逆に言うと」を頻繁に使う人がいる。自分の意見を述べることなく、自分を安全地帯に置きつつ相手に主題を投げ返すことができる、究極の言葉だ。

私「で、これはいつまでにやらなきゃいけないんですか?」。相手「逆に言うと、いつまでにできるんですか?」。この返しにより会話終了。なんとなく上から目線的なこの発言により、一気に冷めた。俺はお前の意見を聞きたいんだよ! なんでこっちに投げ返してくるんだ?

安全地帯をつねにキープして発言する人がいる。常に自分優位で話を進めないと気が済まないということだ。あるいはプライドが大事か? それは自己顕示欲か?

この一言にカチンときた私は「じゃあ今日中にやりますよ」と捨て台詞を吐いて、打ち合わせ終了。その日の夜に「遅くなってしまい申し訳ありません」と捨て台詞とともに、提出物をメールに添付した。

オープンマインド

ある事柄、面倒なことが自分に振りかからないように、必死に回避する言動を、ありありとする人がけっこう多い。それは自分を守るということで、被害は発生しないけど、はやく帰れるかもしれないけど、そこで終わってしまっては、それまでじゃないか、というのが自分の意見だ。つまり、そこから何も起こらない、ということだ。保身とまでは言わないが、もったいない。

いつでも開いている存在でありたいし、誰もやらないなら俺がやるゼ!的なマインドでいたいと思います。

仕事納め

いつもながら長いようで短かった1年が終わろうとしています。今年は前半順調、後半失速という感じでした。ちょっとの変化に対応できない脆弱さが露呈してしまい、なんとかなるだろ、誰かがやってくれるだろ的なおきらく感覚が原因だったと思います。何が変わったのか、どう対処しなければいけないのか、静かに洞察し、途中で投げ出すことなく、最後までやり切る必要があったと思います。

しかし同時によく言われるように、失わない限り得ることができない、を肌身で実感でき、そういうことに気がつけてよかったです。結局はすべて自分に跳ね返ってくるということです。

デスク周辺を軽く掃除し、あっさりと帰ってきました。今年はクリスマスもそうでしたが、なんとなく街に人々の喧噪がありませんでした。誰もがこの年の瀬まで無事に乗り切ったという安堵感のようなひっそりとした雰囲気だった気します。

ジェネレーション批判で逆照射

 

仮に60歳まで働くとして、今40歳手前だからちょうど折り返し地点です。いやはや20年よくやったものよ、あと20年もあるのかよということですね。個人的にはあと10年くらいで引退して、のんびり余生を…などと考えているのですが、どうなることやら。

このごろ少し戸惑っているのが、20代の人との接し方です。当たり前ですが、働き始めたころは目上の人ばかりで年下は存在していませんでした。しかし歳を重ねれば、当然年下の人が出現してくるわけで、いつのまにかその割合も多くなり、若い人および自分の加齢を実感するわけです。

基本的に男だから女だから、年上だから年下だからという考えは好きではないのですが、明らかにそう感じざるを得ない局面が多々あります。適当、いい加減、的外れ発言など、自分からしたら考えられない行動、言動、そしてそれに対して指摘しても理解しているのかしていないのか、このわかり合えない距離感というか疲労感。やれやれ、今どきの若いもんはやっぱダメだわ、と思うわけです。

そんな言動に熱くなり、何度も切れ気味の返信メールを書き始めるのですが、やはり途中で書き直し、普通の文章にします。それは過去の自分を思い出すからです。過去の自分も間違いなく目上の人からそう思われていたはずです。実際、自分の20代はまったく使いものにならず、人に迷惑ばかりをかけていました。現役20代を責める資格などあるはずもありません。

なんて適当な人間だったんだ──今思うと申し訳ない気持ちで一杯です。今となってはその人たちに償いというか恩を返すことはできません。だからこそ、目の前にいる若い人に返していくのが自分の務めなのです。どちらが上、どちらが下、ということではなく、同じ土俵でぶつかり合っていきたいと思います。

それに、だいたい今の自分がどんだけ凄いんだよ?ということです。まだ何も成し遂げていません。人のことをどうこう言う前にまずは自分、ということです。そう思いながら終わってしまうかもしれませんが、初心忘れずということで日々精進していきたいと思います。

ノートパソコンの功罪

昨今会議上でノートパソコン持参の人が多くなってきました。macbook proなんか持っている人を見るとうらやましいなあ、と思うわけです。決まったこと、課題はすぐにまとめられるし、わからないこと、アイデアがほしいときは即ネットで検索と有効活用が可能です。

一方、なんだかなあと思うのが、画面ばかりを見つめて「会議に参加していない」状態ができてしまうことです。スマートにまとめる、調べることも大事ですが、会議の目的は意見をぶつけ、目的や課題を共有することにあるわけで、ノートパソコンをいじり続けている人はどこか心ここにあらず的な状態で、発言もイマイチなことが多いです(あくまで個人的体験に基づく感想)。そして最も大切なのは、会話を通して相手との距離を縮めることにあると思います。ノートパソコンの人はどこか無機質、どこか壁を作っているようで、お前自身がノートパソコンじゃないのかと思うほどクールな人の場合が多いです(あくまで個人的体験に基づく感想)。

職場近くにオシャレカフェがあるのですが、そこはほぼ全員がノートパソコンを持ち込み、黙々と画面に向かっています。本来カフェって、人と人が会話するための場所じゃないかと思い、とても違和感のある風景です。

本当の繋がりってなんなんだ? そもそも繋がる必要あるんですか? こうした現状(あくまでも個人的な局面)を目の当たりにしながら、昨今やたら大切にされている「繋がり」について、どこか懐疑的になっている今日このごろです。

Hard Times

レギュラーの仕事のリニューアルに加え、単発の仕事も仰せつかり、ギリギリの状態が続いています。でもこの「ギリギリの状態」というのは自分の物差しなので、他の人から見たらまだまだなのかもしれません。それに加え、ギリギリの状態も慣れてくると普通になってきます。詰まるところ、まだまだいけるぞやれるぞ、ということです。

最近はチームで働くとは? ということを考えています。そもそも他人で、それぞれ目標、目的、考え方など、ベクトルは違う方向を向いているわけで、わずかにある共通の部分(成果や課題)を頼りに、極めてクールに進行していくわけです。自分も含めて、もっと熱くていいんじゃないか、もっと真剣でいいんじゃないか、という局面もありますが、まずは自分がどうするかに尽きる、というのが現時点での結論になっています。

 

 

通勤風景

 

 ひたすら働いています。俺はこんなに真面目だったのか? 俺はこんなことをするために生きているのか? 俺の夢は? 俺の10年後は? 光と陰? などとさまざまな思いが交錯していますが、極めて淡々と働いています。逆説的ですが、ひょっとしたら充実しているのかもと一瞬思いますが、それは幻想というものでしょう。stay hungry stay foolishでなければいけません。そんなことを考えながら、東京砂漠を通勤しています。

 それにしても朝、改札へ向かう人々の足の速さには驚かされます。休日の5倍くらいの速さ、ほとんど小走りです。たった1本の電車に間に合わせるために、その3分後には次の電車が出るのにも関わらず──仕事モードということで、のんびりしていられない気持ちがそうさせるのかもしれません。否定的な表現をするのなら、多くの人が改札という排水溝へ向かい、その先の社会へと否応なく吸い込まれていくのです。

 そんなことを考えながら私も改札口へと滑り込むのですが、毎日ほぼ同じ時間の電車、車両に乗ると、レギュラーメンバー集合的な状態になります。そしてふと思うのは、そこに集うのは決して交わることのない他人同士ですが、じつは似た存在、つまり人の人生はけっこう似ているのかも知れない、ということです。「あの人元気そうだな」「あれ?あの人は今日はいないな」「相変わらずスマホばっかりやってるな」などと、見知らぬ人に勝手に親近感を覚えています。

 現在中井の駅は工事中(数年前から工事中でいっこうに終わる気配がない)で、改札口が非常に狭くなっていることもあり、朝の混雑状況は半端ではありません。改札から出てくる人に押し戻されることもしばしば。全体的に殺気だっています。

 会社までの道のり、養護学校のバスを待つ親子の列とすれ違います。子どもたちの笑顔を前に、自分も頑張らねばと思います。そこから少し歩いて左に曲がると、いつも戸口に立って、通り過ぎるサラリーマン一人ひとりに「いってらっしゃい」と声をかけるお婆さんがいます。不思議な人、ではなく素晴らしい人ですね。

 こうした風景を目にしながら、強烈な日差しへと変化しつつある朝の光を浴びながららぼんやりと歩いていると、決して悪くない、むしろ良いのではないか、と思います。

寛容であれ

 

他人のミスやパフォーマンス不足に腹を立てたりイライラすることがあります。しかし、自分も同じようなミスをすることがあるわけで、そんなときにお互いさまだなと思うわけです。過程はどうであれ(あまりミスを続けると信頼関係が失われますが)、最終的な成果に向かって進めばよいわけです。そんな意味で寛容であることは大切です。よい言葉ですね。

好むと好まざるに関わらず変化していきます。安定が続くということは絶対にありえないわけで、いつもの日常に潜んでる感知できるかできないほどのわずか数ミリ程度の変化を見逃さないようにしていきたいと思います。

月曜日からフル稼働

月曜日からフル稼働でした。朝イチでサーバがダウン、外出の行き帰りで電車がストップ。これによりすべてが後ろ送りになり、月曜日からフル稼働になってしまいました。せめてもの救いは自分のせいではなく外的要因だったことか....

土曜日にLEONを観たこともあり、今週は「いかに淡々と冷静に働くか」がテーマです。エンディングにスティングが歌う「shape of my heart」の冒頭の4行

カードを配りながら想いに沈む

相手にそれを悟られないように

プレイするのは金のためではなく

強さを誇りたいためでもない

素晴らしい歌詞ですね。まさに冥想にふけるように仕事をしようと思います。

非常に厳しい

非常に厳しい1週間でした。世の中あるいは社会の不合理を思わざるを得ないできごとがいくつかあって、なんだかな的な気持ちになりました。抽象的に記述すると、自分の感知しないところで自分に関わる物事が決定されていってしまうのはなんとも歯がゆいもの、ということです。

同時に集中力が増し、ある種の冥想状態、クライマーズハイ的感覚で仕事に取り組むことができた点はよかったです。瞬間的にどこを見て何に気がつき、どう判断するか、そしてどうやって伝えるか、その積み重ねです。

 

next

今週はなかなかハードでしたが、無事ひとつのミッションを終えることができました。感慨に浸る間もなく、次の使命が控えています。次から次へ、その繰り返しです。次があることに感謝せねばなりません。端々で独自性と意欲を打ち出していきたいと思います。燃えているわけではありませんが、やるしかないというところから湧き上がる意思です。

それ=数字

もろもろ立て込み、かなり厳しい、かなり追いつめられた1週間でした。順調なときはそのままやればよいわけで、八方ふさがりになったときにいかに対処するか、緊急事態になったときからが、本当の仕事ですね。

考えているようで考えていない、という状態をクリアするのが目下の課題です。うまく説明できませんが、ぼんやり流さないでクリアに1つ1つカチっと判断実行していくということです。

どの会社も期末にむけて予算達成!的展開が求められているかと思いますが、数字がクリアできればそれでよいかのか? 逆に言えば数字がよければそれでよいのか、経済・景気って数字がよければそれでいいのか? ドライに数字だけを示されると、いささか感情的になりますが、冷静になって考えるとそれでいいんです。それがすべてとは思いませんが、それが大前提で、それが目標なわけで。それに向かって泳ぐだけです。

2014年始動

今年も始まったのだな、という余韻に浸る間もなくハードな状態です。初日は朦朧として幕を開け、ようやく今日になって身体と精神が慣れてきたという感じです。

営業の人に「またサラリーマン生活の開始かよ」と毒づいたら「一生でしょ?」とクールに返答されました。2014年、外側は冷たく内側は熱くをモットーにリーマン生活を満喫する予定です。