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『波の音が消えるまで』著:沢木耕太郎

 

 

 沢木耕太郎さんの新刊『波の音が消えるまで』。書き下ろし長編小説1500枚の上下刊。初のエンターテインメント小説。

1997年6月30日。香港返還の前日に立ち寄ったマカオで、28歳の青年は博打(バカラ)の熱に浮かされる。帰国をやめバカラに淫することは、「運命」に抗い、失われた「世界」を取り戻すことだった。ある老人が遺した「波の音が消えるまで」という言葉の謎が明かされる時、彼はついに「一筋の光」をつかむ。生と死の極限の歩みのなかで――。(HPより)

 学生の頃にかなり傾倒し、以来すべての著作を読んでいる最も好きな作家の一人です。近年は『ノンフィクション』の括りに捕われることなく、自由に描いている印象を受けます。なぜ今、山野井さんなのか? なぜ今、キャパなのか? 昔からそうでしたが、流行や世の中(読者)が求めていることに一切耳を傾けず、あくまでも俺流。自分が惹かれたものからしか出発しない。テーマおよび取り上げる人物はいつもマニアックです。自分が興味を持っていること、おそらく誰かから勧められたものに関しては、ほとんど断っているのではないでしょうか。自分がピンときたものだからこそ、じっくりと深めていくことができるのだと思います。

 発売日に新聞広告を見たときはかなりの衝撃でした。今回はバカラ、しかもマカオが舞台の小説。いったい誰が読むんだ? あまりにも市場から遠過ぎる、相変わらずの沢木イズムに思わず笑ってしまいました。ファンであれば、マカオおよびバカラは彼の作品にたびたび登場しており、今回はそれを掘り下げるのかと納得できる部分ではありますが…。

 バカラ(博打)の必勝法を求める男の物語。駆け引きの描写は迫真で思わずページをめくる手がはやくなります。そして必勝法に関するアプローチ、分析は非常に克明で、これなら勝てるかも、と思ってしまいます。バカラにのめり込んでいく男、それを取り巻く老人と女を中心に物語は進んでいくのですが、すべてが夢のような、荒唐無稽な展開です。これは悪い意味ではなく、沢木文学の大きな特徴であり魅力なのではないでしょうか。彼のノンフィクションに対する姿勢とは対極にある自由な発想、だからこその展開になっていくのだと思います。物語を通して、信じること、男と女、人生とは? いろいろなことが語られています。

 博打は極限的には勝つか負けるかそれだけなのですが、そこになんらかの規則性を見いだし、そどれだけ信じてその規則性に則り掛け続けることができるのか──半分ネタバレになってしまいますが、結局男は破滅します。自分を見失うとはどういうことか、が描かれているのです。自分の限界を超えた後に残ったのは静かな世界ですが、すべてが終わってしまっても、別の光があるものだということをも提示しています。

 いろいろ書いてしまいましたが、とにかくおもしろくて一気読みしてしまいました。自分もすべての感覚が消えてしまうほど、いろんなことに熱中していきたいと思います。

袴田さんの見た空は、アンディが見た空と同じであってほしい

 

自由を手に入れた喜びというよりも、途方に暮れるしかない、という表情のようでした。正直、袴田事件なんて知りませんでした。こんなことがあっていいのか、許されるのか、と驚くばかりです。

映画『ショーシャンクの空に』でアンディ・デュフレーンが刑務所で過ごした歳月は、1947年〜1966年の合計19年間(原作『刑務所のリタヘイワース』は48年〜75年の合計27年間)でした。事実は小説より奇なりとは言いますが、袴田さんは現実に刑務所生活約50年です。いったい誰がこんな現実を耐えることができるのでしょう? 実際、心的外傷について報道されていましたが、今後の回復は期待できるとのことでした。

アンディは刑務所の中でも希望を失いませんでした。自分が自分であることを決して忘れず、自分であることを保ち、生き続けます。そして気の遠くなるような地道なある作業を何年も続け、脱獄を決行します。最後は安息の地シワタネホで、降り注ぐ太陽の下、自由を満喫するのです。

48年ぶりに外の世界を見た袴田さん。あまりにも残酷で長過ぎる拘束であり、失われてしまった人生を取り戻すことは決してできません。しかし、アンディと同じように、過去ではなく未来、これからの人生を作ることはできるはずでず。

 

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 

『刑務所のリタヘイワース』

新潮文庫/907円

bookreview THE SECRET RACE

シークレット・レース

ツールド・フランスの知られざる内幕

著:タイラー・ハミルトン&ダニエル・コイル

訳:児島修

小学館文庫/886円+税

 

 

 

 

1990年代〜2000年代前半にプロ自転車選手として活躍した、タイラー・ハミルトンがキャリアを振り返る。自転車競の光と陰──これまで疑われながら、誰もが否定してきた薬物使用のすべてを選手自身が告白する衝撃の内容だ。

自転車競技に関わらず、どんなスポーツであれドーピングは禁止されている。しかし、ことあるごとに報道される「陽性反応」。スポーツはクリーンであり純粋でなければいけない。だが、どうしてアスリートは禁断の果実を食べてしまうのか?

本書によると当時の自転車競技界では薬物使用は当たり前の大前提で、不使用の選手は稀。選手間では薬物不使用で走ることを「パンと水だけで走る」と揶揄したそうだ。

クリーンであることは正しいが、プロであれば勝利しないけば意味はない。個人としてプロとしてチームとして、つねに勝利が求められるのであれば、パンと水だけでは走れない。当然使用と不使用の間には明らかな差が生まれるわけで、同じ条件で勝負するためには、薬物を使用せざるを得ないのが切実な現実だった。逆に言えば、薬物を使用して初めて同じ土俵に上がることができた、というわけだ。

そこからが本当の勝負。つまり薬物はスーパーマンを生み出すわけではない。ドーピングは身体能力を飛躍的に高めるのではなく、やぼったい言い方だが「限界の訪れが遠くなる作用をもたらす」。つまりドーピングは過酷なトレーニングがあって、はじめて効果を発揮する。罪の意識があったとしても、少しでも遠くに行けるなら、少しでも速く走れるのなら、誘惑というよりドーピングは使命感による結果だったのではないか?

薬物使用は「チームの総意」である一方、個人で管理しなければならない。万が一発覚した際に、チームとしての摘発を逃れるためだ。そのため選手は自宅の冷蔵庫に奥に薬物を隠し、試合の前、そしてレース中にこっそりと自分の体内に注入する。全編を通して肉体的にも精神的にもシリアスだった現実が克明に描かれている。

そしてもう1つ、本書の核となるのが王者ランス・アームストロングとの関係。所属チームUSポスタルサービスで、すべてをランスに捧げ、アシストとして走った心境、移籍後はライバルとして勝利を争い、キャリアの晩年はドーピング告白を巡り脅迫を受ける(後年ランスも薬物使用を認め、ツールド・フランス7連覇のタイトルは剥奪)。肩を並べてレースを走った者同士に生まれた強い絆、友情が壊れていく現実は残酷だ。

『シークレット・レース』は一言で片付けてしまえば『暴露本』である。しかし、それ以上に自転車で走ることの素晴らしさ、ハミルトンがいかに自転車を愛していたか、自転車にすべてを捧げた一人の男の物語が描かれている。

 

筋肉が叫び声をあげ、乳酸が顔面から両腕までを駆け巡る──そこからさらに力を振り絞る。さらに力を振り絞る、さらに、さらに──。すると、それは起きる。力尽きるときもあれば、限界にぶち当たって先に進めなくなるときもある。だけど、その瞬間は、限界を超える瞬間は、たしかに訪れる。あまりにも大きな苦痛のために、自分が完全になくなってしまうような境地。禅の世界の話のように聞こえるかもしれないが、本当にそれは存在する。僕はそこに入っていく。カーマイケルはいつも、自分を失うな、内側に留まれ、と言う。だけど、僕にはその意味がわからない。僕にとって大切なのは、むしろ自分の殻を打ち破り、外側に出ていくことだ。どこまでも突き進み、まったく新しい、それまでに想像もしていない道の世界に辿り着くまで。(本書より引用)

 

2003年ツール・ド・フランスのスタートの第1ステージにおいて、ハミルトンは激しいクラッシュに巻き込まれ鎖骨を骨折。にも関わらずレースに出場し続け、山岳ステージで優勝、総合4位になった。キャリアの中で最も輝いた瞬間だった。

本書はハミルトンの独白形式だが、執筆はダニエル・コイル。ハミルトンや関係者に綿密に取材を行った過程も記録されている(ハミルトンには60回以上インタビューを行った)。この手のノンフィクションにありがちな取材不足による断片のみの描写、結論ありきの展開、思い込み、過剰な装飾は一切なく、どこまでもニュートラルに、事実を事実のまま描く姿勢、文体が素晴らしい。