揚げ足取りと批判されたとしても

 平日の朝刊は眺める程度、土日は熟読。夕刊は手頃な文量なので、平日でも寝る間際にざっと目を通している。同業種の端くれとして気になるのが『訂正 お詫び』コーナーだ。概ね誤字脱字、固有名詞などのマイルドな誤りで、これくらいまあいいんじゃねぇの的な内容がほとんどだ。新聞社にとってそこはプライド、一言一句間違えがあれば文字にしてお詫び、訂正、ということだろう。
 が、しかし先日の夕刊『訂正 お詫び』は驚愕の内容だった。

『某日「漁から戻った□□□□丸の船頭○○○さん」とありますが、○○○さんはこの日、漁に出ていませんでした。確認が不十分でした。』

「えっ?なにこれ。こんなことあっていいの?」急いで押し入れにしまってある前日の夕刊を引っ張り出して内容を確認した。
 それは以下のような内容だった。

①T湾でシロエビの漁が2日に解禁された
②午前4時半頃漁船5隻が出港して、底引き網漁を行った
③シロエビが水揚げされると、市場に競り人の威勢の良い声が響いた
④漁から戻った□□□□丸の船頭○○○さんは「春が来た。全国の人に味わってもらいたい。豊漁を期待する」と語った
⑤漁は夏が最盛期で11月まで続く。

 『訂正 お詫び』は④に対する事実誤認だった。こんな恥ずかしい間違いは、いったいどうして起こったのだろう?
 正論かませば「裏取ってねえだろ!」と批判したくなるところだが、第一に事件、事故ではない。いわゆる囲み記事、季節を伝えるちょっとしたコラムであり、綿密な取材は必要ない。事実を報告して、ちょっと色づけして終わり。普通の記者なら、なんてことのない仕事だと思う。しかし、事実は小説より奇なり。漁の解禁日、しかも実際に漁に出た□□□□丸の船頭が、実は漁に出ていないなんて、いったい誰が思うだろうか? 

 思い込みおよび勝手な判断が原因のミスだ(自分もこの手のミスは大得意で、これまでなんども痛い目を見ている)。さらに言えば、文章を卒なく書く、ということに慣れてしまっていたのだと思う。結論ありき、事実は後付け。自分が想定したシナリオ通りに記事を進めたのだろう。
④はなくても記事は成立する。しかし起承転結、記事のスパイスとして、ましてや取材をしたのであれば「現場の声」はどうしても入れたいところだ。そして最大のポイントは「春が来た。全国の人に味わってもらいたい。豊漁を期待する」という発言は、「漁に行って今年の漁獲を把握、帰ってきた状態で語る」ことで、最も印象的な効果を発揮する。家でゴロゴロしている人にもっとらしいことを語られても、臨場感も説得力もない。文脈上、あるいは文章構築のテクニックから派生した一文だ。あるいは記者がそうあってほしい、そうあるべきという想いから、勝手に船頭を船に乗せてしまったわけである。つまり事実は関係なく、よりよい記事を作るために付け加えた一文。いわゆる修飾語で、これがなくても意味は通る。
 
 それにしても、なぜこんな間違いが発覚したのだろうか? 読む側からしてみれば、実は漁に行ってないじゃないか、などと疑う必要のない内容だ。関係者が告発するにしても、いったいなんの義務感に駆られての行動なのか? 不可解すぎて、思わず長文を書いてしまった次第だ。自戒を込めて「やりっぱなしは超危険。必ず確認!」を改めて痛感した夕刊だった。