2018年3月

あをによし奈良の都は咲く花の

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 先日ふと「そうだ、奈良へ行こう」と思い立ち、いきなり奈良へ行ってきました。
 京都は現在進行形、歴史遺産はありつつも経済の中にあり、現在進行形を感じます。つまり都会です。一方の奈良は言葉は悪いですが寂れています。しかしその夢の跡こそがいにしえを感じるわけで、そこが奈良の魅力ではないでしょうか。

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 しかし、約10年ぶりくらいに訪れた奈良公園周辺のテーマパーク化ぶりに、驚きというか多少の失望がありました。まずJR奈良から奈良公園までの道はスッキリ観光お土産道路に。そして東大寺周辺は東大寺ミュージアムなる博物館を中心に、カフェ、今風のお土産屋などが立ち並び、さながら京都清水寺のようでした。南大門の近くの駐車場には大型バスが次々と乗り付け、韓国人・中国人が大挙して押し寄せていて、立派な観光スポットになっていたのです。

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 それにしてもスマホの自撮棒はなんとかならないものでしょうか? 完全に自分が主役。場所は脇役。なんのために旅をしているのかわかりません。そんなに自分中心にしたければ、背景合成したほうがはやいしきれいでしょ、というくらい滑稽な姿でしかありません。

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 東大寺に行くのであれば、ぜひ奈良公園入り口から歩いてほしい。歩いて大仏に辿り着くことに趣があるというか、そんなに簡単に大仏と対面してはおもしろくありません。
 猿沢池を右に眺め、左の石段を上がって興福寺五重塔へと歩く。そこから国立博物館を抜けて、ようやく南大門に辿り着く。20分程度のおすすめコースです。さらにおすすめなのが、東大寺の後は二月堂へ登り、眼下に奈良市内を眺める。そして東大寺の裏側を歩き、正倉院へ。ここは裏参道と言われており、土塀に囲まれた道が続いてとても古風です。さすがに今でも人が少なく、ほっとしました。

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 現場ではお金を稼ぐ必要があることはわかります。復元された遺物、建物も何百年も建てば風合いを増すことでしょう。まったくもっての旅人の意見ですが、寂れゆくまま、朽ちたままの自然の姿こそ奈良らしいのです。

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 そんな意味では、奈良から和歌山方面、つまり明日香へと続く各土地が素朴です。人間が作り、取り残された風景が寂しければ寂しいほど、そんな中に春爛漫を迎え、咲き乱れるさまざまな草木、そして花々の美しさ、力強さがいっそう際立っていました。

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東京地下鉄通勤物語

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 現在光が丘在住で、通勤は光が丘駅、地下鉄大江戸線を利用して都心まで通っている。
 調べてみると、一日平均乗降人員は約3万人。朝の通勤時間になると駅周辺は改札に向かう行列が発生し、急ぎ足でそれこそ排水溝に吸い込まれる落ち葉のごとく、次々と人々が改札を潜っていく。昨年一度、半休で午後出社のときがあったのだが、ヒトッコヒトリおらず不気味なほどに静まり返っていた──住民のすべてが通勤のために移動してしまったと思えるほどに。

 大江戸線の特徴は2つあり、まずは深いこと。だいたいどの駅も、改札から長いエスカレーターを2つほど降りてホームに辿りつく。だいたい降りている途中に電車が来て行ってしまう、ということがほとんどで、えらい時間がかかるのだ。そして次は狭いこと。通常の車両の2/3ほどの広さで、座席と座席に2人が立てば肩が触れ合ってしまうほどの狭さだ。

 朝の時間帯、大江戸線は5分間隔で走っており、光が丘は大江戸線の始発だ。ホームは人で埋め尽くされ、やっかいなのは座りたいがために、前の駅あたりからわざわざやって来る人がいるので、さらに列が長くなる。いちおう張り紙と「やめてくれ」的なアナウンスはなされているが、まあいいよね的な状態になっている。こうして地元組と前の駅組が加わり、扉が開くと座席分の人数だけが列車に入っていく、ベルトコンベア式の移動が始まる。なんとも整然、律儀としている。で、ここからが滑稽というか悲しい時間帯。我れ先と椅子取りゲームが始まり、座れなかった人はなんともバツが悪そうな顔して再び列の最後尾に戻る。そして座れた人はいっせいにスマホを見始めるという人生の縮図とも言うべき風景だ。百歩譲ってスマホはまあよいとして、がっかりするのはその内容だ。リーマンが朝から一心不乱にゲームをやっているを見ると、本当にうんざりする。

 で、そんな中の一人のリーマンとして出勤するわけだが、自分の場合はこの列には加わらない。列を無視していつも発車前の列車に駆け込んでいる。1時間以上かかるなら執念で席を確保するかもしれないが、20分程度なので。練馬で大量に人が補充され、よくニュースで見るこれぞ「通勤ラッシュ」という感じになり、混雑はマックスになる。入り口付近に乗ったときなどは、駅に着くたびに降りる人のために一度外に出なければならない。これを繰り返していると「いったい俺はこんなところで何をやっているんだ。嗚呼リーマン」などと憂鬱な気分になる。そして奥に乗ったときは「すいません降ります」と挨拶をして、ギュギューの中を分け入って出口まで辿りつく。これが月曜日から金曜日までの、典型的なリーマンの通勤スタイルだ。

 もちろん肩が触れた触れない、どけどかない、音が漏れている漏れてない、スマホやめろやめないなど、低レベルのトラブル発生の確率は高い。とにかく距離は近くても基本は「東京砂漠」。他人同士が異様な近距離で同居し、殺伐とした雰囲気が充満しているので、ちょっとしたことでも即ギレに繋がってしまうのだ。リーマンが一方的に学生に切れる場合が多い。端から見ていると、学生の非常識よりもリーマンという存在の哀しさが際立つ瞬間だ。
 多いのか少ないのないのかよくわからないが、これまで2回、目の前で倒れた体調不良の人を抱え上げたことがある。自分を含めて倒れ込まない限り、周囲は無関心だ。地獄とはおおげさだと思うが、通勤が過酷なことは間違いない。

 そして最後に。始発の光が丘は同時に終点でもある。六本木、渋谷、新宿などで飲み明かしたホスト、あるいは自由人がベンチで死んだように寝ているときがある。自分を含め整然と並ぶ通勤前の人たちとの対比。どちらが自分らしいかと考えれば、もちろん自由人たちであるが、どちらが人間らしいかと言えば、それはリーマンのほうではないかと思う。

弥生

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 何度も書いてきたと思うが「月〜金・土日」という果てしないループをどう脱出するのか、それが最近のテーマだ。脱出とか書いている時点で終わっているかもしれないが、変わりのない日常を重ねている間に、日常が終わってしまうから。